<   2005年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧

太鼓が好きなんだな。

d0017298_2244535.jpg


 ジャンベを始めた。
 
 ジャンベはおかしな臭いがするので、カンタがよう嗅いでました。
 
 ド真ん中をぶっ叩いた時の「どーーん!」て音がいい。

 
[PR]
by umizo1000 | 2005-10-26 22:51 | 湘南・藤沢・鎌倉

田舎の音楽祭で感じたこと。

 久しぶりの更新です。冨田ラボ-”shipbuilding”を聴きながら打ち込んでいます。松任谷由実、ハナレグミ、畠山美由紀、キリンジ、saigenji、birdがフュ-チャリングしてて、捨て曲なし。キリンジの香りと影が大好きだったけど、ユーミンのGod bless you!や、ハナレグミの眠りの森 が最近はいい感じです。
 冨田さんは何が良いか!って、リズムが良い!フルートが良い!メロディが良い。ゆらゆら踊りたくなります。

 この休日に音楽を通してまた出会いがあった。

 土曜日は友達の母親が主催の音楽祭へ行ってきた。群馬で年に1回やっている音楽祭で、その名もわたらせ「森と水の音楽祭」 。詳細は↓な感じ。

わたらせ「森と水の音楽会」
10/22(土) 14:00~16:30 於:童謡ふるさと館
Ⅰ.マリンバとピアノ 福田直樹(ピアノ)吉岡孝悦(マリンバ)
Ⅱ.ソグヘムとピアノ弾き語り
 ハ・ミョンス  ユン・ヘギョン (金剛山歌劇団ソヘグム奏者)
 ルンファン (歌・ピアノ)
Ⅲ.和太鼓
 深川富岡八幡 <葵太鼓>


 この音楽祭でとくに感動したのは、葵太鼓だった。和太鼓10個くらいの演奏。太鼓の響き。リズムの高鳴り。胸に伝わる鼓動。アーティストたちはとてもとても手の届かないようなところで、表現していた。なかには女性もいた。

 音楽祭が終わってからアーティストの方々といっしょに、山々に囲まれたログハウスでパーティーをやった。携帯の電波も届かない山々で囲まれた自然の中、炭火を作り、鱒を塩焼きに。魚をほおばり、酒好きの方々が持参した日本酒を飲む。会話が弾む。

d0017298_2343142.jpg

 

 オーガナイザーをやっている友達の母親が、、、 
 「今回の音楽祭はなんと300人以上のお客さんが集まりました。東京でやれば簡単に集まりそうな人数ですが、群馬のこーんな田舎に300人が集まるというのは、とてもすごいことです。今日はみなさんどうもありがとうございました」

 のようなことを言っていた。とても丁寧で、充実感に溢れた表情で語っていた。

 もう1人のオーガナイザーの男性は、、、
 「まだまだ身体障害者の社会復帰が厳しい世の中です。でも、閉じ込めてしまうことは、彼等にとってストレスをためるだけです。今日の音楽祭では、イスの出し入れをやってもらいました」

 のようなことを言っていた。尊敬。

 手に届かないアーティストと思っていた方々の中には、、、なんと中学生がいたりして、花火をやって遊んだりする姿はまさしく女の子って感じだった。二面性を垣間見た気がした。

 人間は一般庶民でありアーティストである。そのギャップに心を打たれる。

 群馬の音楽祭に呼んでくれた友達が酔っ払いながらこんなことを言った。

 「俺は人間の感性が好きなんだよね」

 人間の感性は人間の数だけある。
 その感性を知るには、
 その人とある程度関わる必要性があって、
 そのやりとりが面白い。
 人間の感性なんて底知らずだと思う。変化するし。

 大切なことは自分を磨くことと、対話と、セッションかな。音楽なら。
[PR]
by umizo1000 | 2005-10-25 23:49 |

伝える

 先日の月曜日に会社の同期と二人で馬鹿みたいに飲んだ。まだ月曜だというのにスーツ姿で二人ともベロンベロンに酔っ払った。お店をでて蒲田駅に向かっていたら1人の女学生らしい子がギターをかかえ歌っていて、僕達はビールを買いそこへ腰掛け、歌を何曲か聴きいた。同期は酔っ払った勢いで5000円札を彼女に渡そうとしていた。。。帰りに1000円払い自分と同期の分とで2枚CDを買った。今それを聴きながら打ち込んでいます。僕の想いいろは。手作り感溢れているCDはジャケットからも伝わってくる。「赤い花」っていう曲が情熱的な感じです。


 実家に帰った時のこと。

 お昼過ぎに起きだして、目をこすりながら、台所へ行ったら

 こんなものがありました。

 
d0017298_22433265.jpg


 いつもあなたは僕のハートをがっちりキャッチ。
[PR]
by umizo1000 | 2005-10-05 23:59 | 湘南・藤沢・鎌倉

チョロスナと幸福な米

 写真家の土門拳は、戦後の日本に「写真」という手段をもって「リアリズム」を伝えた。

 土門拳さんの写真を沢山見たことがあるわけでもないのですが、日本フォトコンテスト日本カメラアサヒカメラなどを読むと、しばしば土門さんのことがでてきます。著書の「死ぬことと生きること」を読むと、なるほどその通りだなと頷ける文章を多々書いてくれています。

 写真は「事実」である。

 そこに「真実」があるかは撮り手次第でいかようにもなるようだ。

 土門さんは、事実の表面にとどまって背後の真実にまで及ばないものを「チョロスナ」と呼んだ。チョロスナ。。。なんじゃそりゃ。まあ意味はわかります。なんとなく。

 例えば人を撮る際に、「は~いとりまーす」と言って構えてもらった被写体なんて、もう既にチョロスナじゃないか、などと思う。あっちの方を向いて何か思いつめているようにも、何も考えていないようにも見えるおぼろげな恍惚状態や、傍若無人の勢いをもって取り組んでいる姿勢は、真実に近いような気がする。

 このご時世フィルム代などの心配はいらない。あげるとすれば電池の心配くらいかな。どデカイ一眼レフのカメラを持たなくても、ポケットに入っている携帯を取り出せば、目の前の感動をメモリーに詰め込むことができる。

 それにしても、無制限に写真を撮れるということは、面白くない。緊張に欠け、鈍感になり、獲物を逃しやすくなる。無制限の憂鬱だ。
 
 電車に乗っていて、平凡な日常のどこにでもあるような田園風景にみとれてしまうことがある。

 なんとなく「帰りたいな」という気持ちを生む。自然の持つ豊かな景色がそう思わせるのだろうか。腰を曲げたお婆さんなどはあまり見かけなくなってしまった。

 休日に稲刈りを体験した。サラリーマンという身分で、稲刈りという体験は貴重だ。稲刈りと言っても、機械が刈った稲の束を運び、棒に積み上げる作業であります。カマで刈ることもなく、長い間天候の心配をしたわけでもない。非常に表面的である。つまりチョロスナである。

 
d0017298_2026483.jpg


 ただ米が収穫できたということは紛れもなく幸福なことだ。

 若者たちが年配の方々と混じって会話をし、米を収穫する。幸福そのものである。

 その日に飲んだビールがとてもおいしかった。


   ・
   ・
   ・


 今日も決まった時間になったら食堂へ行き、当たり前のようにして米をバクバクと食う。明日もバクバクと食うだろう。

 日本人に生まれて良かったなあ。という思いが強く増す体験でした。

 
[PR]
by umizo1000 | 2005-10-04 20:38 | 食べましょう